ばけめかす

 

記憶にある限り、初めてお化粧をしたのは、5歳の時の七五三だったと思います。

 

お化粧といっても、その時は、七五三の振袖を着せてもらったあと、最後の仕上げとして、母の手で、母の口紅を塗ってもらったというだけです。

 

せっかく塗ってもらったのに、こんなことを言うのは申し訳ないのですが、初めての口紅の感想は、綺麗とか、うれしいとかという気持ちではなく、「あぶらのようなにおいがして、なんだかへんなかんじ」でした。

 

 

七五三の晴れ姿に母の口紅を、なんて、とても素敵なお祝いを受けさせてもらったと、大人になった今なら思うのですが、それでもなんとなく、小さい頃の私が感じた「あぶらのようなにおい」への違和感は、脳裏に焼き付いている気がします。

 

あと、鏡を見た時の自分の顔が、唇だけ赤色に照っているのも、なんだか恥ずかしいなあ、と思っていたような。

 

(それはそれで「いちまさん」みたいでかわいかったんじゃないか、とも今なら思うんですが)

 

 

 

化粧という言葉は、「化け」「粧(めか)す」と書きますね。

 

化粧という言葉は日常で気軽に使う言葉なのに、漢字という点から解いてみると、なんだかとても厳かな、そして簡単に立ち入れない領域の行為のように感じます。

 

また、漢字の並びを眺めていると、例えば、能面をかぶった能楽師さんの足音であったり、白い布をかぶって『鷺娘』を舞う、日本舞踊の女性の姿であったりと、なぜかそういった、日本の伝統芸能の一場面が頭の中に思い起こされます。

 

実際、そうした伝統芸能や神事に臨む場面では、「化粧」は単なる演出にとどまるものではなく、神聖で特別な呪術的な意味合いもあるのだと思います。

 

また、それは、お化粧以外のきまりや所作、つまり、「能面を被る」「白い布をかぶって舞う」と同様の、「演じている自分の外側に装い添えて、本来の自分との線引きをする」ということも意義としてあるのだと思います。

 

見た目だけのことではなく、心に線を引いて、「ことに臨む」ための自分になるために。

 

 

 

 

 

 

 

もともとそんなに詳しくなくて、簡単なものしかできない私ですが、私は毎朝、出勤前の身支度として、「お化粧」をします。

 

そして、気持ちをしゃんと真っ直ぐにしたい朝や、心を充填したい時はいつも、最後の仕上げとして、赤い口紅を塗って出勤します。

 

 

母の口紅のにおいが気になっていた、5歳の時の私。

 

過去の自分の話なのにも関わらず、27歳になった今現在、5歳の時の私のことを、なんだかとてもいじらしく、いとおしく思います。

 

過去の自分のことや、大事に育てくれたひとを守るために、明日の私も、自分の外を「化け粧し」て、出勤のドアを開けるのだと思います。